大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成7年(行ケ)248号 判決

東京都中野区江古田1丁目38番6号

原告

株式会社マーク

同代表者代表取締役

中島良雄

同訴訟代理人弁理士

井ノ口壽

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

同指定代理人

片寄武彦

小原博生

吉村宅衛

小池隆

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成2年審判第14483号事件について平成7年7月25日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和62年7月21日、名称を「有限系大口径単レンズ」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和62年特許願第182047号)をしたが、平成2年7月10日拒絶査定を受けたので、同年8月7日審判を請求し、平成2年審判第14483号事件として審理された結果、平成7年7月25日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年9月11日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

有限距離の物体を縮小結像する両凸単レンズにおいて、レンズ両面が共に非球面で形成され、その非球面形状の諸元を

x:非球面上の点のレンズ面頂点における接平面からの距離

h:光軸からの高さ

c:非球面頂点の曲率

k:円錐定数

A21:非球面係数

とするとき

〈省略〉

で表わされる非球面を有することを特徴とする有限系大口径単レンズ。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)〈1〉  これに対して、特開昭57-76512号公報(以下「引用例」という。)には、その特許請求の範囲に、

「第1面、第2面が共に正の屈折力を有する非球面によって構成される単レンズで、該非球面が、

x:光軸からの高さがhの非球面上の点の非球面頂点の接平面からの距離

h:光軸からの高さ

c:非球面頂点の曲率(=1/R)

k:円錐定数

A21:第2i次(iは2以上の整数)の非球面係数

として

〈省略〉

で表わされるとき、

R1:第1面の曲率半径(=1/C1)

K1:第1面の円錐係数

f:レンズの焦点距離

n:レンズの屈折率

としたとき

〈省略〉

-3<K1<0

を満足することを特徴とする大口径非球面単レンズ。」と記載されている。

また、引用例の第1頁右下欄下から6行目~同下から3行目には、「この種のレンズは、各種の集光レンズとして広い用途を持つが、最近は特に光学式のビデオディスク再生用対物レンズとして注目されている。」と記載されている。

〈2〉  これらの記載からみて、引用例に記載のレンズは、本願発明と同じく光学式のビデオディスクの対物レンズとして用いられるものであるから、有限距離の物体を縮小結像するものであり、また、第1面、第2面が共に正の屈折力を有するとは、両凸のレンズであるということにほかならない。

したがって、引用例には次のような発明が記載されている。

「有限距離の物体を縮小結像する両凸単レンズにおいて、レンズ両面が共に非球面で形成され、その非球面形状の諸元を

x:非球面上の点のレンズ面頂点における接平面からの距離

h:光軸からの高さ

c:非球面頂点の曲率

k:円錐定数

A21:非球面係数(iは2以上の整数)

とするとき

〈省略〉

で表わされる非球面を有することを特徴とする有限系大口径単レンズ。」

(3)  そこで、本願発明と引用例に記載された発明(以下「引用発明」という。)を対比すると、両者は、非球面係数及び光軸からの高さの累乗数を定める数値(以下「累乗係数」という。)iを、本願発明が2以上9以下の整数としたのに対し、引用発明では2以上の整数とし、特に上限を定めていない点のみで相違し、その余については一致している。

(4)  そこで、上記相違点について検討する。

〈1〉 引用発明では累乗係数iの値を2以上の整数とだけ定義し、9以下の整数とは限定していないが、引用例記載の実施例では4以下の整数や5以下の整数等を採用しており、本願発明と同様の計算式を用いた非球面レンズの設計にあたって、求められる性能を得るために、累乗係数の範囲を適宜選定することは、本願出願前より広く行われている慣用技術である(例えば、原査定の拒絶の理由に引用された文献である特開昭59-23313号公報には、本願発明と同様の計算式を用いると共に累乗係数を実質的に2以上5以下の整数、2以上6以下の整数、2以上7以下の整数、2以上8以下の整数等とする例が記載されている)。

〈2〉 してみれば、引用発明の累乗係数iを2以上9以下の整数とすることは、本願発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が容易になし得る程度のことである。

(5)  そして、本願発明の効果は、引用発明並びに上記慣用技術から当業者が予測できる程度のものであって格別顕著なものとはいえない。

(6)  したがって、上記慣用技術を考慮すれば、本願発明は、引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)は認める。同(2)〈1〉は認め、同〈2〉は争う。同(3)は争う。同(4)〈1〉は認め、同〈2〉は争う。同(5)、(6)は争う。

審決には、拒絶査定不服審判制度の理念に反する手続上の違法があり(取消事由1)、引用例の記載事項を誤認して、本願発明と引用発明との一致点及び相違点の認定を誤り(取消事由2)、相違点についての判断を誤り(取消事由3)、かつ、本願発明の効果についての判断を誤った(取消事由4)違法がある。

(1)  取消事由1(手続上の違法)

本願は、明細書記載のとおり、特許請求の範囲第1項及び第2項の発明を含むものである。そして、拒絶理由通知書(甲第3号証)には、「この出願の特許請求の範囲第1~2項に記載された発明は、・・・進歩性がない。」と記載され、拒絶査定謄本(甲第6号証)には、「この出願は、・・・拒絶理由通知書に記載した理由によって拒絶すべきであると認める。」と記載されているように、審査官は、特許請求の範囲第1項及び第2項に記載された発明についての審査を行い、いずれも進歩性がないと判断している。

原告は、審査、審判手続において一貫して、特許請求の範囲第1項及び第2項の発明についての判断を求めた。

しかるに審判官は、拒絶理由通知をすることなく、審決において、特許請求の範囲第2項については何らの判断を示さなかったものである。

上記のとおり、審決は、本願発明の要旨を特許請求の範囲第1項記載のものとのみ認定し、同2項についての判断は一見合理的に省略したのであるが、その結果、出願人である原告に対して明細書を補正する機会が与えられなかったものであり、このような審判手続は、拒絶査定不服審判制度の理念に反するものであって違法である。

(2)  取消事由2(引用例の記載事項の誤認による一致点及び相違点の認定の誤り)

〈1〉 審決は、引用例に記載されているレンズは「有限系大口径単レンズ」であると認定しているが、誤りである。

引用例に記載のレンズは無限系のレンズである。このことは、引用例(甲第4号証の18)の各実施例には物体距離または結像倍率のいずれも記載されていないことからも明らかである。

審決は、「引用例に記載のレンズは、本願発明と同じく光学式のビデオディスクの対物レンズとして用いられるものであるから、有限距離の物体を縮小結像するものであり、」と認定している。しかし、有限系のレンズも無限系のレンズも光学式のビデオディスクの対物レンズとして利用されるが、無限系のレンズはそれ自体で有限距離の物体を縮小結像するものではなく、コリメータレンズと組み合わせて用いられるものである。したがって、引用例に記載の無限系のレンズが本願発明と同じく光学式のビデオディスクの対物レンズとして用いられるからといって、直ちにこれを「有限距離の物体を縮小結像するものであり、」とする認定は誤りである。

上記のとおり、引用例には「有限系大口径単レンズ」が記載されていないのであるから、本願発明と引用発明との対比において、審決が、この点を相違点として摘示することなく、「・・・点のみで相違し、その余については一致している。」とした認定は誤りである。

〈2〉 引用例の特許請求の範囲には、累乗係数iの上限を定めていない旨を示す数式が示されているが、これは誤記であるか、少なくとも実態を伴わないものである。引用例では、実施例として累乗係数iにつき2以上5以下の整数をもつものしか示されていないのであり、また、引用例に係る特公平4-42650号公報(甲第9号証)では、その特許請求の範囲における累乗係数iは「2以上5以下の整数」と補正されている。

したがって、相違点の認定のうち、「引用発明では2以上の整数とし、特に上限を定めていない」とした点は誤りである。

(3)  取消事由3(相違点についての判断の誤り)

引用例は、上記(2)のとおり、累乗係数iを2以上5以下の整数とした実施例のみしか示されていない。本願発明は、累乗係数iを2以上9以下の整数として、いまだかって検討されていない18個の非球面係数を用いた有限系大口系単レンズの設計を行ったものである。累乗係数の特定されていない一般式(例えば、引用例に示されている式)はすでに知られたものであるから、累乗係数の次数は任意の選択にすぎないとするならば、非球面レンズの発明は成立しなくなるのであり、この論理は誤りである。

非球面レンズの進歩性の判断は、累乗係数の選択により決定される非球面レンズの特性を考慮する必要があるのであって、レンズの特性を無視して、「引用発明の累乗係数iを2以上9以下の整数とすることは、当業者が容易になし得る程度のことである。」とした審決の判断は誤りである。

(4)  取消事由4(本願発明の効果についての判断の誤り)

非球面レンズの発明の効果は、決定された条件により得られるレンズの特性の優劣にあり、レンズの特性の評価の尺度として開口数NAがある。有限系レンズを対象とする本願発明の実施例1ないし8の開口数NAmを換算式NA∞=(1-m)NAmで換算した無限系としてのNA∞は、NA∞=0.51~0.75と大きいにもかかわらず、収差は良好であるといえるのであって、本願発明は、特許請求の範囲記載の条件により、従来のレンズよりもより明るくしかも収差の少ないレンズを提供するものであって、その効果は格別顕著なものである。

したがって、「本願発明の効果は、引用発明並びに慣用技術から当業者が予測できる程度のものであって、格別顕著なものとはいえない。」とした審決の判断は誤りである。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決に原告主張の手続違背はなく、また、審決の認定、判断は正当であり、原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  取消事由1について

審査において「この出願の特許請求の範囲第1~2項に記載された発明は、・・・」と記載したのは、必須要件項を更に限定した実施態様項は必須要件項に示される技術的事項に含まれて1発明を構成するからである。そして、多項制出願の要旨の認定は特許請求の範囲第1項にのみ基づいてなせばよいのであるから、特許請求の範囲第2項について拒絶理由を通知せずに審決したことに何ら手続上の瑕疵はない。

(2)  取消事由2について

〈1〉 引用発明は、ビデオディスク再生用対物レンズに適した大口径非球面単レンズに係り、引用例には、その先行技術として、すでに非球面単レンズが提案されていることが記載され、特開昭50-156945号公報(乙第1号証)が例示されている。そこで、上記公報をみてみると、その第4図は明らかに有限系単レンズがビデオディスクの対物レンズとして使用された状態、すなわち、審決にいう「有限距離の物体を縮小結像」した状態を示している。したがって、引用例は、有限系単レンズがビデオディスクの対物レンズとして使用されることを知りつつ出願されたものであり、有限系単レンズがビデオディスクの対物レンズとして使用されることを前提として記載されていると解することができ、そうであるならば、引用例には有限系大口径単レンズが記載されているというべきである。

仮に、上記主張が認められず、一致点の認定に誤りがあるとしても、本願発明は以下の理由により特許を受けることができず、審決は結論こおいて誤りはない。すなわち、

本願発明における数式と引用発明における数式とを対比すると、非球面項における累乗係数に上限が付されているか否かの差異をひとまず措くと、両数式は、ベースとなる2次曲面を表す項(2次曲面項)と2次曲面項では表しきれない非球面の形状を表す項(非球面項)において同じであり、結局、両発明は、数式により規定される非球面レンズの形状において一致しており、(a)本願発明では、非球面項における累乗係数の上限が9であるのに対し、引用発明では、その上限がいくつであるか不明である点、(b)本願発明では、有限系大口径単レンズと称しているのに対し、引用発明では、単レンズが有限系であるのか無限系であるのか必ずしも明確ではない点で相違していることになる。

しかし、上記(a)については、後記(3)に述べるとおり、累乗係数の上限を9とすることは当業者が容易になし得る程度のことである。上記(b)については、引用発明が無限系に限られるとしても、この相違は、同一形状の非球面レンズを有限系として用いるか無限系として用いるかの相違に帰着し、いずれで使用するかは単なる使用状態の差にすぎず、同じ数式で規定される非球面レンズの形状が使用状態によって変わるわけではないのであるから、この相違は実質的相違には当たらない。

したがって、仮に引用例には無限系大口径非球面単レンズのみが記載されているとしても、本願発明が、引用発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたという点では変わりがなく、審決はその結論において誤りはない。

〈2〉 引用例の特許請求の範囲には、明らかに「iが2以上であって上限を定めていない整数」である数式が記載されている。そして、この数式自体明瞭であって、実施例をもって解釈しなければならないものでもないから、審決において、特許請求の範囲における数式のとおり認定し、「引用発明では2以上の整数とし、特に上限を定めていない」としたことに誤りはない。

なお、引用例に係る発明がその後どのように補正されて出願公告されたかは、すなわち、どのような経緯を辿ったかは、当該出願公告された発明の技術的範囲の解釈に影響を与えることはあり得るとしても、引用例である公開公報の記載事項自体から把握される技術的思想が変わるものではない。

(3)  取消事由3について

求められる性能を得るために、累乗係数の範囲を適宜選定することは、本願出願前より広く行われている慣用技術であるから、レンズの特性を評価しつつ累乗係数を本願発明のように決定することは、上記慣用技術を考慮すれば当業者が容易になし得ることである。

(4)  取消事由4について

累乗係数を高次にすれば、レンズの特性、すなわち、より明るく、種々の収差が少ないことが向上するであろうことは、当業者にとって当然予測されることであり、明細書に記載された本願発明の効果は予測を越えた格別なものとは認められない。

第4  証拠

本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

2  取消事由1について

甲第3号証及び甲第6号証によれば、昭和62年7月21日に出願された本願に対する審査において、特許庁審査官は、本願の特許請求の範囲第1項及び第2項に記載された発明について、進歩性がないとして拒絶理由を通知し、また、拒絶査定をしたことが認められる。

昭和62年法律第27号による改正(昭和63年1月1日施行)前の特許法が適用される特許出願においては、当該発明の構成に欠くことができない事項は必須の構成要件として特許請求の範囲に記載しなければならないのに対し、実施態様項は必須要件項を実施した態様に関する記載で任意的・従属的なものである(特許法36条4項及び5項、同施行規則24条の2)ところ、本願明細書(甲第2号証及び甲第7号証)によれば、本願の特許請求の範囲第1項が必須要件項に該当し、同第2項が実施態様項であることは明らかである。

ところで、一個の発明につき必須要件項と実施態様項を特許請求の範囲とする特許出願においては、必須要件項と実施態様項がともに審査、審判の対象になるのであるが、実施態様項は必須要件項を実施した態様に関するもので、必須要件項に示される技術的事項を含んでいるのであるから、出願に係る発明の進歩性を判断するための前提としての要旨の認定は、発明の構成に欠くことのできない事項である必須要件項により行うべきであり、それをもって足りるものというべきである。

そして、拒絶査定に対する審判は、審査手続の続行として原査定を維持できるかどうかを審理の対象とするものである。

しかして、審決は、必須要件項である特許請求の範囲第1項に基づいて、本願発明の要旨を認定し、原査定の拒絶理由により原査定を維持できるものと判断しているのであるから、特許請求の範囲第2項について拒絶理由を通知しなかったこと、及び、同項について判断しなかったことに、原告主張の手続上の違法があるとは認められない。

3  取消事由2について

(1)〈1〉  引用例の特許請求の範囲の記載が審決摘示のとおりであること、引用例に「この種のレンズは、各種の集光レンズとして広い用途を持つが、最近は特に光学式のビデオディスク再生用対物レンズとして注目されている。」と記載されていることは、当事者間に争いがない。

そして、甲第4号証の18によれば、引用例に記載されている四つの実施例はいずれも無限系レンズであることが認められる。

被告は、引用例に先行技術として示されている特開昭50-156945号公報(乙第1号証)の第4図は明らかに有限系単レンズがビデオディスクの対物レンズとして使用された状態、すなわち、審決にいう「有限距離の物体を縮小結像」した状態を示しているのであるから、引用例は有限系単レンズがビデオディスクの対物レンズとして使用されることを前提として記載されていると解することができるなどとして、引用例には有限系大口径単レンズが記載されているといえる旨主張する。

乙第1証には、有限系単レンズがビデオディスクの対物レンズとして使用されていることが記載されていることが認められる。

しかし、引用発明は、乙第1号証に記載されているビデオディスクの対物レンズとして使用される有限系レンズは、「第2面が像面に向って凹面となっているため、焦点距離に比してこの面の側での作動距離が短くなるという欠点を生じる。」(甲第4号証の18第2頁右上欄10行ないし13行)ため、「両面とも正の屈折力を有する非球面単レンズとすることによって上述の欠点を有せず、しかも、像点表面の1.2mm程度の保護層によるものまでを含めて軸上像点の収差補正を行い、その上、取りつけ誤差による偏心等の影響も考慮し、必要な範囲で正弦条件までを補正したもの」(同頁同欄14行ないし20行)であり、前記のとおり四つの実施例はいずれも無限系レンズであって、引用例には、この無限系レンズを有限系レンズとしてビデオディスクの対物レンズに使用することは何ら記載されていない。

そうすると、引用発明が、有限系単レンズがビデオディスクの対物レンズとして使用されることを知りつつ出願されたものであり、また、光学式のビデオディスクの読み取りに用いられるレンズには有限系のレンズと無限系のレンズがあるとしても、このことをもって、引用例に有限系大口径単レンズが記載されているということはできない。

したがって、引用例には有限系大口径単レンズが記載されているとした審決の認定は誤りであり、審決が、本願発明と引用発明の相違点として累乗係数の点のみを摘示し、本願発明は有限系レンズであるのに対し、引用発明は無限系レンズである点の相違を看過して、「・・・その余については一致している。」とした認定は誤りであるというべきである。

〈2〉  被告は、上記の点について、本願発明が有限系レンズであるのに対して、引用発明が無限系レンズに限られるとしても、この相違は、同一形状の非球面レンズを有限系として用いるか無限系として用いるかの相違に帰着し、いずれで使用するかは単なる使用状態の差にすぎず、同じ数式で規定される非球面レンズの形状が使用状態によって変わるわけではないのであるから、実質的な相違には当たらず、本願発明が引用発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたという点では変わりがなく、審決はその結論において誤りはない旨主張するので、この点について検討する。

本願発明は有限系大口単レンズの両面を非球面の形状とし、その非球面形状を

〈省略〉

の数式で限定するものである。

一方、引用発明は無限系の大口径単レンズではあるが、その両面の非球面の形状は、

〈省略〉

の数式で規定されるものである。

そうすると、有限系レンズも無限系レンズも、レンズ自体の非球面の形状は同じ数式を用いて規定するものであるから、上記相違点は同一形状の非球面レンズを有限系として使用するのか、無限系として使用するのかの相違に帰するといえるところ、無限系レンズはコリメータを併用すれば有限系レンズとして使用できることは、甲第11号証により技術常識ともいえることであるから、上記相違点は実質的な相違点とはいえず、本願発明が引用発明に基づいて容易に想到し得たものであるという点で変わるところはなく、上記相違点が審決の結論に影響を及ぼすものとは認められない。

したがって、被告の上記主張は理由があり、審決が上記相違点を看過して、一致点の認定を誤ったことをもって、審決を取り消すべき違法があるとは認められない。

(2)  次に原告は、相違点の認定のうち、「引用発明では2以上の整数とし、特に上限を定めていない」とした点は、誤記であるか、少なくとも実態を伴わないものであって誤りである旨主張する。

しかし、引用例の特許請求の範囲には、引用例の大口径非球面単レンズの面の形状を規定する数式として、

〈省略〉

と明確に記載されているのであり、上記数式が、非球面項(2次曲面項では表しきれない非球面の形状を表す項)において累乗係数を高次にすればより精度が高いレンズが得られ、累乗係数の上限値は理論上無限に選択できることを意味するものであることは明らかである。

そして、甲第9号証(特公平4-42650公報)によれば、引用例に係る出願は審査を経て公告され、審査過程で非球面項の累乗係数の上限値が5に限定されているものであることが認められるが、前記のとおり引用例の記載の数式の意味するところは明確であり、甲第9号証を参酌しなければならない特段の事情も存しない。

したがって、審決の相違点の認定に誤りはなく、原告の上記主張は理由がない。

4  取消事由3について

引用例に記載されているレンズの非球面を規定する一般式は、非球面項(2次曲面項では表しきれない非球面の形状を表す項)の累乗係数の上限値は任意に選択でき、それが高次であればあるほど精度の高いレンズが得られるものであることを意味するものであることは前記説示のとおりであり、また、有限系レンズにおいても無限系レンズにおいてもレンズの非球面を規定する一般式は同じものであることは本願明細書の記載及び引用例の記載に照らして明らかである。

そして、引用例記載の実施例では累乗係数iの値を4以下の整数、5以下の整数等を採用していること、本願発明と同様の計算式を用いた非球面レンズの設計にあたって、求められる性能を得るために、累乗係数の範囲を適宜選択することは、本願出願前より広く行われている慣用技術であり、特開昭59-23313号公報には、本願発明と同様の計算式を用いると共に累乗係数を実質的に2以上5以下の整数、2以上6以下の整数、2以上7以下の整数、2以上8以下の整数等とする例が記載されていることは当事者間に争いがない。

以上によれば、引用例記載の計算式を用いた非球面レンズの設計において、求められる非球面レンズの性能に応じて累乗係数の範囲(上限値)を適宜選択して所望の精度の非球面レンズを得るようにすることは当業者において容易になし得ることであり、累乗係数を2以上9以下の整数とすることに格別困難があるとは認められない。

引用例(甲第4号証の18)には、「残留収差を高次の係数を使って補正しようとしても効果は薄く、その上、高次の係数の絶対値が大きくなり、作りづらいレンズとなってしまう。」(2頁右下欄下から6行ないし3行)、「またこれを高次の非球面係数を使って補正しようとしてもあまり効果はなく、高次の係数の絶対値が大きくなり作りづらいレンズとなってしまう。」(3頁左上欄3行ないし6行)と記載されているが、これらの記載が、2以上9以下の累乗係数を選択することを妨げるものとは認められない。

したがって、相違点についての審決の判断に誤りはないものというべきである。

5  取消事由4について

原告は、非球面レンズの発明の効果は決定される条件により得られるレンズの特性の優劣にあり、レンズの特性の評価の尺度として開口数NAがあって、有限系レンズを対象とする本願発明の実施例1~8の開口数NAmを換算式NA∞=(1-m)NAmで換算した無限系としてのNA∞は、NA∞=0.51~0.75と大きいにもかかわらず、収差は良好であるといえるのであって、本願発明は特許請求の範囲記載の条件により、従来のレンズよりもより明るくしかも収差の少ないレンズを提供するものであるから、本願発明の効果についての審決の判断は誤りである旨主張する。

しかし、本願発明は、前記のとおり、非球面単レンズの面の形状を規定する数式の非球面項の累乗係数を限定するものであって、開口数NAについて何らの条件を付しているものではないし、また、非球面項の累乗係数の上限を高次にすれば精度の良いレンズが得られることは引用例の数式自体が意味するところであるから、原告の主張する、より明るく、しかも収差の少ないレンズを提供するするという本願発明の効果は当業者が予測できる程度のものというべきである。

したがって、本願発明の効果についての審決の判断に誤りはない。

6  以上のとおりであって、原告主張の取消事由はいずれも理由がなく、審決には、これを取り消すべき違法があるとは認められない。

よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

別紙1

〈省略〉

別紙2

〈省略〉

別紙3

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例